徳光院の「年中行事」には、玄関先や床の間などの空間に季節ごとの室礼で参詣者をやさしく迎えてくれる。とりわけ書院に活けられた生け花は見事である。伝統的に臨済禅寺に飾られる山村御流の生け花。単に様式化した流儀花と異なり、季節に応じた自然の山野草や花木の美しさを際立たせ、季節感が薄れつつある私たちの暮らしに四季の恵みを感じさせてくれる。一輪の花、一枚の葉,一本の枝を最大限にその持ち味を生かし、素朴であるがままの姿で生けられる。
近年、住宅様式の変化と共に、生け花もそのありようは多様化させている。当ホームページでは、自然豊かな境内に育成、開花し、活けられた生け花の実作を中心に紹介し、現代の生活の場でも室礼として少しでも役立ててもらえればと考えます。
温暖な地域の春は、歩みが遅いが、寒い北国の春は、寒い冬から解放されて一気にやって来るものだ。どうしてなのか、今年の当院の椿、連翹、桜や小手毬と春の花は、春への歓喜を競って謳うかのように急いで咲き乱れた。今回使われた花材の八重桜は、開花を平年より約二週間も早め、来訪者を驚かせた。
桜をはじめ小手毬は、春の象徴である。特に桜は、その美しさに不気味ささえ感じさせると評する人もいる。何かの化身の如く短期間に花を開き、花を散らせる。その生の短い時間の中で爆発させてしまう。
山椿がこれから姿を消す頃には、花が野にも山にも満ち溢れ、春の錦の訪れの季節となり、晩春が真っ盛りとなる。
春の花には可憐なものが多い。春の野や山に花を求める人もまた多い。花を生けるということは、貴重な花たちの生の営みのなかで、自然と人間とを繋ぎ止めようとする日本人の必至な行為(繋索行為)なのかもしれません。(2015.4.8)
制作:橋本淳子氏 (山村御流師範)
花材は、太藺草(フトイ)と芍薬。太藺は藺草に似ていて太いところからこの名が付くがイグサの仲間ではない。真直ぐ立ち上がった茎が、風にそよぐ様なほっそりした線に見え、涼感があるから生花の材料としてよく使われる。万葉歌あり。
「上野(かみつけ)の 伊奈良の沼の 大藺草 よそに見しよは 今こそまされ」。
歌意は「上野(群馬県)の伊奈良の沼に生えている大藺草のように、貴女のことは遠くから見ていた時よりも、近くでこうして知り合った今の方が、一層恋しく思われます」。大藺草は今の太藺のこと。(東方出版刊「花萬葉」参照)
芍薬は牡丹科だが、樹木ではなく多年草。牡丹が咲き終わるのを待つように咲き、文字通り根は鎮痛剤として重要な漢方薬として使われる。
天上に向かって力強く伸びる直線の木賊。その姿は凛々しく威儀正しささえ感じさせる。そんな木賊の足許を可憐で優美な芍薬の花が見事に固める。
(2015.5.12)
生花制作:橋本淳子氏(山村御流師範)
鉄線は中国原産で鉄線蓮ともよばれ、茎は針金のように強く、葉腋に大きな白色または淡青紫色の六弁花を開く。その姿は派手な中にも清楚、高潔な感じがする。蒸し暑いこの梅雨の季節に涼感を誘う。
つつましき夏のはじめや鉄線花(森 澄雄)
日本原産の鉄線は、風車(かざぐるま)と呼ばれ花弁は八枚。西洋種と交配されてクレマチスとされる。
生花制作:橋本 淳子氏(山村御流師範)
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の
知らえぬ恋は 苦しきものそ (萬葉集・大伴坂上郎女)
入梅になって一段と夏草が生い茂る季節となった。そんな夏草に混在して咲く姫百合には、人はなかなか気が付かない。相手に知ってもらえぬ恋はひとしお辛く苦しいものだ。そんな片思いの感情を見事に歌ったものだ。
星形で濃い紅色をした姫百合は、別名「紅百合」とも呼ばれ、真に可憐な花である。花が大変愛らしく、特に自然の情趣を表現するのに姿、形がよく、色彩的に引き立ち、茶席を飾る花として大変喜ばれる。背景として和尚が選んで掛けられた「一期一会」の軸に調和して、今日の書院の床の間は何時もより際立って見えた。
京の夏祭りといえば、町を練り歩く鉾と山の祇園祭りである。7月1日の吉符入から始まり、7月28日の格納のための神輿洗いまで約1か月間も続く長い祭りなので、その間色々な俗信が付きまとう。
その中の一つかも知れない、檜扇は悪霊を退散させた厄除けの花として、祭りには欠かせない花となって京都人に広く愛好された。
色はオレンジ色で斑点のある六花弁が咲き、真に美しい。その葉並びが根元から扇状になり、その姿が昔の檜扇に似ていることからこの名がついた。花が咲いた後にできる黒い種子は、「ぬばたま」(射干玉)とも呼ばれ、和歌では黒や夜の枕詞としても知られる。万葉集に詠まれた歌に
佐保川の 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬の来夜は
年にも あらぬか (坂上郎女)
「あなたは黒馬に乗って佐保川の小石を踏みながら渡ってくる。そんな夜が一年中続いてくれると良いのになあ。」という歌意である。坂上郎女が恋人の藤原麻呂に贈ったとされる恋歌である。だが、檜扇の花そのものの姿を詠んだ歌は,他には一首もとうじょうしない。
紫陽花は雨上がりにも、雨に打たれていても咲く姿は、趣がある。光沢と生気に満ち、新鮮で美しく心が洗われる。あじさいの花一輪を中心に、右上に伸びた枯れ枝と白い花器とが絶妙のバランスがとれ、シンプルでいて品格を生み出し,まことに美しい。
万葉集には紫陽花を詠んだ歌は、この歌を含めて二首のみ。
その中の一首に橘諸兄が詠んだ歌がある。
あじさいの 八重咲くごとく
八つ代にを いませ我が背子
見つつ偲はむ
歌意は、紫陽花の花が幾重にも重なり合って咲くように、何時までも元気で栄えて下さい。花を眺めてはあなたのことを思い出しましょう、と述べている。(2015.7.11)
生花制作:橋本 淳子氏 (山村御流師範)
百合の宝庫と言われる日本。山野に自生し夏の野山を美しく飾る。野に咲く百合を切り花として鑑賞するようになったのは室町時代からで、古くから山野に、庭先にと夏の風物詩として百合は欠かせない。
鉄砲百合の開花は6~8月。真直ぐ伸びた茎の先に漏斗状の白花を横向きに付け、香りが強いのが特徴。その容姿の気高さ、清楚,芳香は世界の人々から愛され、冠婚葬祭に飾られることが大変多い。
「百合の香の人待つ門の薄月夜」(永井荷風)
この場合の百合は、山百合であるが正に無垢な香りがある。
蔓梅擬(ツルウメモドキ)は、サハリンー中国原産の雌雄異株の落葉性の蔓性底木。5~6月頃に葉腋から淡緑色の小花が咲き、豌豆ぐらいの球形の果実がなるが、まだ青い実の枝が花材に使われた。日本各地に自生し、昔から親しまれてきた植物で地味だが、鉄砲百合に寄り添うように全体を引き締め、百合の清浄無垢な姿を一段と高めているといえよう。
蔓梅擬が初夏に咲かせる淡緑色の花は地味で目立たないが、秋には熟して黄色い実をつける。やがて黄色の果皮は三つに裂けると赤い仮種皮が現われ、赤い種と橙色の果皮のコントラストで美しい姿を見せる。竜胆は藍紫色・鐘形の花を開かせ、秋の代表花として広く知られている。生花には園芸種が使われたが、秋の野草で花は日光が当たると開き、夜には花弁を閉じ、その楚々とした花姿は見事である。野趣に富み清々しい両花が、ともに挙って晩夏の連日の猛暑を吹き飛ばしてくれそうだ。
人皆は 萩を秋と言う よし我は尾花が末を 秋とは言はむ
(萬葉集・作者不詳)
「人々は萩を見て一番秋らしさを感じるというが、なんの何の私は尾花こそが一番風情があると言いたい」という歌意です。まこと機知に富んだ歌ではないでしょうか。
萩も尾花(ススキ)も秋を代表する花木には違いない。陽当たりのよい秋の野原や家の庭先に、共に風にそよぐ様は印象的である。吾木香、リンドウ、菊、いずれもまた秋の花のイメージに何かを私たちに感じさせてくれるものがあるようです。
花言葉によると「逞しさ」の象徴であるかのような石化柳。傍らにひっそりと寄り添い佇む杜鵑草。その涼しげな印象が、私たちに早々と秋の到来を告げた。
杜鵑草はお盆過ぎから咲き始め、茎から湾曲して下垂れて釣鐘型の花が付く。山野の日陰の湿った崖や岩場の斜面に生育し、その姿はまことに風情があり、格調の高い花として茶花や生花に利用されてきた。
花弁の斑点模様が野鳥の時鳥(ホトトギス)の胸の斑文に似るところから名が付いたといわれるが、詠まれた歌も時鳥ほど多くはない。
尋ねても 言うてもならぬ ことがある
花ほととぎす 風にうなずく (鳥海昭子)
(2015.9.14)
生花制作:橋本 淳子氏(山村御流師範)
蔓梅擬きの花は、五月に咲くが、果実は秋につけ淡黄色に熟し、たわわに実り、秋の雰囲気を華やかに演出してくれるので、この季節によく出回る花材である。
虚子の句に「蔓もどき情けはもつれ易きかな」とあるが、純白のスプレー菊がそんな心情の凝りを一気に解きほぐしてくれそうだ。
生花制作:橋本 淳子氏(山村御流師範)
「椿と菊」 一見両者には関係性がない花材である。前者は秋風とともに結実,その実の収穫期がやって来る。後者は今季最後に花を咲かせる秋の代表花である。両者とも、古来より長寿や厄除け、生命力が強く縁起が良い花木として重用された。椿の深緑色の果皮が褐色に変わり,実が弾けて中から黒色の新しい命が生まれる。傍らでこの豊穣の季節に、それを誇るかのように凛と立って、大菊がまるでコラボしているかに観えないでもない。
ここ圓山が紅葉して景色を「錦の里」に衣替えする日も間近い。
楓は紅葉の美しさでは代表格だ。左手の中庭から窓越しに差し込んだ太陽光を浴びて、楓のあざやかな色彩が見事に書院の床の間を輝かせて見せた。ふと黄金色の絲菊がライトになったのかと思わせもした。
子規の句に
「山茶花を雀の
こぼす日和かな」
とある。
雀がいなくても、咲いては次々と散りこぼれる山茶花の存在を知らされるようになる。また、山茶花は俳句では冬の季語となっているが、現代では秋の代表花である。花色は変化に富むが、白色の山茶花は、派手さはなくとも清潔感に溢れて、真綿のように柔らかな透き通るように美しい花弁が天使のように集まり、ほんのりと色香を漂わせて、見る人に安らぎを与えてくれる。秋から初冬に咲きだし、花期の長い花だ。日本が原産地で、江戸時代に長崎から西欧へ広まり、学名・英名も「サザンカ」である。似た花には椿,沙羅の木や茶がある。
生花制作:橋本 淳子氏(山村御流師範)
センリョウ(千両)は、寒い季節にふくよかな赤色または黄色の実を豊かにつけ、その価値は古来より千両や万両のお金に値するという意味から、旧貨幣の名がつけられたと言われる。縁起の良い名前から商売繁盛や金運向上などの縁起物となっている。特に正月には,同じく縁起の良い「松」と並んで千両が飾られ新年が迎えられる。
今回使われたのは果実が黄色くなる「黄実の千両」。花は黄緑色で7~8月頃に咲き、果実は液果で、10月頃から赤または黄色に熟して翌年の2月頃まで見られる。
トクサ(砥草・木賊)は常緑のシダ植物。茎は珪酸含み堅く、砥石に似て茎が充実している秋に刈り取って、天然素材の紙やすりとして細工物など物を研ぎ磨くのに用いられる。
千両も砥草も、花材としては大変地味だが、生け花では大変有用である。両者とも日陰でやや湿った場所を好み、境内では庭木の下草としてひっそりと植えられ、路地や敷地際のアクセントとして用いられるため、平素は誰からも見過ごされやすく、その存在感は薄いのだが、花の稀少なこの時季こそ「和」の雰囲気を心憎いほど演出してくれるのである。
生花制作:橋本 淳子氏(山村御流師範)
寒さ厳しい早春に咲く白梅はまことに優々しい。年数を経た古木があしらわれて、その姿は堂々とした風格と気品とを見せてくれている。
今日も厳寒で強張った訪問者の気持ちを和ませてくれた。これが白梅と違って紅梅となると、外気がもう少し暖かくなって咲くので、のどかな美しさが演出されることになる。
梅は古木から若枝(徒長枝)が勢いよく伸長してくるが、これを「ズアイ」と呼んで、数本添えられて溌溂とした梅の個性が表現されて一層味わいが増すのである。蕾がまだまだ小さくて固い真直ぐなズアイ梅は、正月の生け花や門松にも用いられて、花の少ないこの時季を盛り上げてくれる貴重な花木だ。
万年青は、非常に豊富な葉の形や模様を持つ古典植物である。この植物の場合は、花や果実は鑑賞の対象とならず、葉芸が中心となり、古くは江戸時代からその微妙な味わいが万民に楽しまれてきた。
万年青は、目出度い植物、不老長寿の縁起の良い植物として、徳川家康の江戸城入城には床の間に飾られたという故事もある。暑さ寒さに強く、好んで庭に植えられて古来より四季を通じてお祝い事や新築、引っ越し、結婚式などの慶事に使われてきました。
生花制作:橋本 淳子氏 (山村御流師範)
連翹(レンギョウ)
枝の先端がやや垂れさがって、早春には葉に先立って鮮黄色四弁の筒状花を咲かせる。
卵形の蒴果は古くから生薬として利用されてきた。和名の連翹の翹の字が鳥の尾羽を意味し、花序の形態から小鳥の黄色尾羽を想起させ、それが連なるという意味から連翹となったそうである。
桜や辛夷、木蓮ともどもに、春の訪れを知らせてくれる花として、鮮やかな黄色花を鈴なりに咲かせ、その湧き出す生命観や躍動感は他に比類がない。
桜の開花の気配もないこの時季に訪れた人々に、この花の寒風の中にまるで陽だまりがあるかのごとくほんのりと温かさを感じさせてくれるのである。
連翹の一枝づつの花ざかり(星野立子)
木瓜(ボケ)
古くから花の観賞と実は薬用として利用されてきた。
花は深紅色の緋木瓜、純白色の白木瓜、白に紅色の絞りのかかった更紗木瓜等々、品種は大変豊富である。
本来春咲きであるが、四季咲き性や寒咲き性のものがある。
決して梅の花のように清楚で気品を漂わせる花ではないが、庭の片隅に植えられのんびりと春到来を待つかの風情があり、そして何気ない日常生活に溶け込んで、鄙びた感じの花として人々から評されるのである。
溝ありて背戸は垣なし木瓜の花(正岡子規)
生花制作:橋本 淳子氏(山村御流師範)
満作(マンサク)
と椿
他に咲く花に先駆けて春先に「先ず咲く花」が満作だと言われている。紐状の花弁が4枚と少ないのに固まって咲くので花弁が沢山あるように見える。
本堂前の陽当たりと風通しの良い庭先で毎年開花し、仄かに甘い香りがする。そんな満作の根締めに白椿が活けられた。この白椿は元々本院の原種であるが、縁あって六甲の某宅に譲られ、今春に開花するまでに大きく成長し、本院へ里帰りするかのように届けられた椿一輪である。
同じ六甲山の麓でも本院境内は寒気厳しく開花せず、この椿一輪が一足早く春を送り込んでくれたのであった。
山茱萸(サンシュユ)
と撫子
山茱萸も満作と並んで代表的な春を告げる花木である。
いまだ寒さ厳しいこの時季には貴重な早春の陽光を浴びて、黄金色に輝く姿が見事である。
可愛い小花が黄色い線香花火のようにも見え、枝いっぱいに付け春の感じを盛り上げてくれる。別名「ハルコガネ」とも呼ばれる。
生花制作:橋本 淳子氏
(山村御流師範)
『雪柳』は、春の花の代表格の梅や桜とはまた異なり、私たちの身近な春の使者として、「春の訪れ」知らせてくれる花。満開となると枝一面に白花を咲かせ、花弁の直径が1センチにも満たない小花を付け、その可憐さからまるで「愛らしさ」(花言葉)そのものだ。
植物としては土質を選ばず,痩せ地でも生育する丈夫な落葉低木の庭木。
この様に活花として端正な身のこなし、そして整然として乱れがなく、その行儀や姿が整えられると真に立派で観る人の心が打たれる。
生花制作:橋本淳子氏
(山村御流師範)
臨済宗 天龍寺派 大圓山 徳光院
〒651-0058
神戸市中央区葺合町布引山2-3
TEL 078-221-5400 (8:30~17:30)
FAX 078-221-5410
※当ホームページは、大圓山徳光院護持会にて運営しております。