平成27年3月21日(春分の日)は「彼岸の中日」である。本堂では午後2時から恒例の春彼岸会法要が営まれた。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、今朝の徳光院は残寒で足下が冷えた。しかし桜の開花を待つかのようにこの日を境に参詣者もぐんと増える。今日も日が昇るにつれて境内は墓参者とその家族で大変賑わった。
ところで、彼岸法会は日本独特のものだ。浄土思想と結びつき、昔人は彼岸の中日に太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方にあると考えられる極楽浄土に思いをはせたとされ、何時しか生を終えて行った祖先を供養する行事となってきたようだ。
ところで、この時期に春彼岸や浄土、桜となると、平安時代の桜の歌人西行を思い浮かべる。深く生命を見つめ、花や月を愛でた西行は、孤独な暮らしや旅から多くの歌を詠んだ。なかでも、西行が年老いて「桜の花を観ながら死にたい」と詠んだ歌がある。
願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
旧暦の2月の満月のころとは、今の3月下旬から4月上旬の桜の季節に当たり,また釈尊の命日である旧暦2月15日ごろでもある。実際西行が来世に旅立ったのは旧暦2月16日であった。(建久元年(1190年)如月16日に河内・弘川寺で73歳で没した)
若くして何もかも捨て出家した西行であったが、決して聖人ではなかった。世の無常を感じ、悟りの世界にあこがれつつ、現世への執着も捨てきれずに悶々とする中、都を離れ、吉野に移り住み、また四国を巡礼するなど、全国を旅しながら花鳥風月や出家後の迷いや心の弱さを素直に歌に詠みこみ、気ままに生きた。
西行は、世の無常を感じつつ、死とどう向き合えばよいかも深く考えるようになっていった。最晩年はどんな心境であったのか、往きついた西行の心が、少なからず推し量れそうだ。そこにはきっと西行が探し求めていた極楽浄土(仏の世界)が、広がっていたことであろう。
にほてるや なぎたる朝に見渡せば 漕ぎゆく跡の浪だにもなし
この歌は、慈円の「拾玉集」でつたえられ、比叡山・無動寺の大乗院のはなち出(母屋から外へ建て増した建物)から琵琶湖を見やりて詠った西行最後の歌境となった。
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